ねんりんピック2023えひめ大会参加報告

佐 藤  (はじめ)

35回全国健康福祉祭えひめ大会(ねんりんピック()(がお)のえひめ2023)テニス交流大会は、令和5年1028日から30日まで愛媛県松山市で開催されました。

私は30年余前岩手県(安比高原テニスクラブ)で開催された第4回大会にテニス協会の運営スタッフとして参加しました。年齢を感じさせない選手のプレーに驚かされた記憶があります。将来自分が選手として参加するとは夢にも思いませんでした。

ねんりんピック2023えひめ大会には、岩手県(ロックハンド)チームとして令和4年9月の県予選を経て結成した次のメンバーで参加しました。 写真1

70歳以上男子ダブルス  工藤 喜彌(監督兼)・武藤征五郎 

60歳以上女子ダブルス  大畑 京子・小田島洋子

60歳以上男子ダブルス  佐藤  新・林  誠二

各ペアとも年度は違いますが、ねんりんピックの参加経験があり、テニス歴の長いメンバーです。工藤監督は令和5年の全日本ベテランテニス選手権大会80歳以上シングルスで準優勝しており、チームは上位進出を狙って密かに闘志を燃やしていました。一方、愛媛・松山といえば、みかんジュース、鯛めし、じゃこ天、松山城、道後温泉・・・。私たちは、岩手県選手団(159人、平均年齢69.8歳)の一員として期待と興奮でワクワクしながら集合場所の盛岡駅に向かいました。

1027日(金)906分発の新幹線で出発し、東京駅から貸切バスで羽田、飛行機で松山空港に。宿舎の道後プリンスホテルに到着したのは18時を過ぎ、9時間余の移動となりました。ホテルでは休む間もなく岩手県選手団全員が一堂に会して結団式兼夕食会が開かれました。岩手県文化スポーツ部の小原部長や(公財)いきいき岩手支援財団の菊池正理事長から勝利を目指して頑張ろうと力強い激励をいただきました。

28日(土)は、開会式参加のため愛媛県総合運動公園陸上競技場へ。開会式は各県市の代表者20名による入場行進で始まり、本県選手団代表に選ばれた私たちテニスチーム6人も三笠宮彬子女王殿下の前で笑顔いっぱい元気に行進しました。  写真2

愛媛県知事の歓迎のあいさつでは、秋田県知事の発言で有名になった「じゃこ天」が紹介され、隣にいた秋田県選手団は肩をすぼめて聞いていました。

29日(日)は、5時半朝食、6時半出発でコンディショニングに苦労しながら会場入り。68県市チームが参集した開始式の後、いよいよ4チーム17グループによる予選リーグがスタート。岩手県チームは、初戦、2戦とも70歳以上男子の工藤・武藤ペアがいつもの力を発揮できず接戦の末敗退。続く小田島・大畑ペア、佐藤・林ペアも敗れて連敗を喫しました。3戦目はようやく調子が出て3チームとも勝利。1勝2敗でグループ3位となりました。写真38から

試合後は宿舎に戻り、道後温泉本館で汗を流して気分転換。「ボールの前に道はない ボールの後ろに道は出来る!」などと気合を入れて翌日の試合の健闘を誓いました。  写真9

30日(月)は、各グループ3位によるトーナメントの初戦で仙台市と対戦。工藤・武藤ペアがタイブレークの末に敗れ、1勝2敗で敗退しました。仙台市はこのグループトーナメントで優勝。悔しい結果となりました。

31日(火)は、「4泊5日のザコ寝・同じ釜の飯生活」をともにしたメンバーとの別れを惜しみ?ながら、レンタカーで姫路に、高速船で広島に、それぞれ別ルートで観光して帰路につきました。

大会期間中、同部屋(男女各1室)で狭い風呂など宿舎の環境に恵まれず、辛い面もありありましたが、愛媛名物の鯛めしやじゃこ天とお酒に舌鼓を打ち、松山城、しまなみ海道などの観光も満喫することができました。また、「開会式の帰路での失踪騒動」、「道後温泉男湯で幻の女性発見」、「帰りのレンタカーでの珍道中」、「帰りの飛行機遅延で深夜の仙台を徘徊」など思い出に残るエピソードもありました。

岩手県チームは上位入賞の目標は果たせませんでしたが、工藤監督のもと6人のチームワークもよく、他県選手との白熱した試合と楽しい交流を体験できました。そして、それぞれ新たな目標とモチベーションを持ってテニスに取り組んでいます。

参加に当たって、大変お世話になったロングテニスクラブの役員・事務局、(公財)いきいき岩手支援財団事務局の皆様のほか関係各位に心より感謝を申し上げ報告といたします。